MU_Ba-ba’s diary

あ~ちゃんへ

ばぁば 履歴書を作る

求人サイトを見ていたら『時給1,750円』という募集がありました。破格の金額です。PCを使っての作業のようなのでちょっと興味を覚えて応募することにしました。

記載内容からたぶん30代男性をターゲットにしたものだろうな・・・、と思います。『男女雇用機会均等法によりはっきり記載できないので“におわせ”で判断してくださいね。』という感じですが、門前払いにはならなかったので、履歴書と職務履歴を用意することにしました。

ところで、ばぁばの履歴書はうんざりするほど行数が多い。また会社名が増えた履歴書を見ると何故こうなったのか、と情けない気分になります。

新卒で就職したらそこで働き続けるのが”あたりまえ”でしょうけど、結婚やダンナの転勤で遠くへ引っ越さなければならなかったり、子育てをしなければならなかったり、ばぁばはその”枠”にうまくはまれなかったんだ。

で、中途入社した零細企業はいろいろ大変でした。コンプライアンスやハラスメントという言葉すらない時代で労働基準法絵空事。少しでもいい環境で働きたいと思えば自力でステップアップをしていかなければどうにもなりません。

結果として”事務職人”みたいになってるばぁばだけど、履歴書を見るとやっぱりうんざりです。倒産、廃業、収用と勤めた会社自体も様々あったし、今でもハローワークの求人に年中掲載されてるところがほとんどだから、見る目がないというか運がないというか、結局は自分の選択が間違ってたことになります。

そうこうするうちに62歳!仕事人としての寿命が尽きかけている今、それでも最後まで希望を捨てずにチェレンジしようと思っています。だってまだ働けるんだから。

個人情報保護

日本のコロナ禍による経済的ダメージは他の先進国に比べ感染者や死亡者が少なかったにも関わらす、ダントツに大きいと言われています。

2月ぐらいから騒がれ始めていたのにあと数日で6月という現時点で我が家には給付金どころか申請書も”アベノマスク”すら届いていません。マイナンバーカードを作っていなかったからかと思いきや、ネット申請の問い合わせへの対応と入力ミスのチェックに時間がかかっているんだとか・・・。

送信されたデータを印刷し、二人がかりで読み上げチェックをしている映像を見て、ばぁばは唖然としてしまった。

マイナンバーのデータベースには”世帯主”の項目がないので、住基ネットとの紐づけが必要だそうだけど、名前と生年月日をキーにすればアッという間にできないかしら、と思う。振込口座の銀行コードや支店番号は銀行のデータベースを参照して相違があればエラーになるようすればいい。それができないのは『個人情報保護法』の壁があるからでしょうね。

でも、マイナンバーってそもそも商用目的や目的外の利用はダメっていう話で、こんな時にまで制限がかかるの?

SNSでの個人情報流出や誹謗中傷はほぼ野放しなのに、なんだか時間稼ぎしてるんじゃないかって余計な勘繰りをしてしまいそうです。持続化給付金も雇調金も会社がつぶれたら支給なしでしょ。

もちろん間違って詐欺師に振り込むようではまずいけど、だからこそデータの確認作業はコンピューターの方が確かじゃないのかなぁ。過去の情報漏洩も不正アクセスよりは人為的ミスによることが多かったように思うし・・・。

『国家権力』が個人情報を管理することにアレルギー反応を起こす人もおられますが、抽象的な”国家”というものをイメージできないばぁばには『国家権力』は選挙で負けたら”はいさようなら”となる人の集まりでもあり、マスコミやSNSが一挙手一投足に至るまで監視の目を絶やさない相手としても見えます。『国家権力』はばぁばたち国民一人ひとりの合意のもとで形成されたものなんだから、問題があるとしたら”彼ら(国家権力)”ではなく”自分たち(国民)”の責任でしょう?

ともあれ、”緊急事態宣言”は出しても緊急時対応はしてくれない片手落ちにうんざりしつつ、これを機にいろいろなことが見えてきて少しずつよくなっていけばいいなと思っています。

 

 

 

鉄腕アトムの呪縛?

日本はロボット開発の分野で先端を走っていた時期がありました。ASIMOの二足歩行は世界を驚かせましたが、その後、時折報道されるのは、”女性そっくり”のアンドロイドとかダンスするかわいいロボットとか、ちょっとマイナーものばかりの印象でした。

エンターテインメントとしては面白いでしょう。『人とは何か?』という哲学的な問いを投げかけるというのも凄いなぁと思います。でも暮らしを支える産業としては成り立っていません。『どうしてそこへ行っちゃうの?』って思ってしまったのはばぁばだけかなぁ。

その間に海外では機能優先でいろいろなものが開発されました。別に”人型”でなくてもやることをやってくれたらそれでいいし、つまり必要なのは機能です。親密な感情や好感度はアップルPCやフィギュアをこよなく愛する人がいるくらいだから、これまた”人間そっくり”でなくてもいいんじゃない?

人間そっくりの愛すべきロボットへの憧憬は『鉄腕アトム』から始まってるのかな、とばぁばは思ってます。不謹慎ながら昭和天皇の御崩御より、少し後の手塚治虫さんの亡くなったニュースの方がショックだったばぁばです。気持ちはわかるけど、手塚先生は生物的な人体の形状ですら不変のものとは捉えておられなかったのでは?

ロボット開発の分野は今、あらゆる生物の形状から学び、より機能性を向上させようと躍起になっているとか。これが”ロボット”とわからないまま、身近に浸透して役に立ってくれるぐらいがちょうどいいような気がします。

”人手不足”に思うこと(その2)

20年以上も前、とある勤め先で「手書き厳禁!転記厳禁!」と言われました。ばぁばはこの教えのおかげで事務員としてのスキルを身に付けられたと思っています。

PCに入力されたデータは修正、編集、参照、集計、再利用・・・と手書きに比べて圧倒的に使い勝手がいい。転記は誤記の恐れを0だとは言えない分信頼性が薄れるし、チェックに時間を取る必要も出てくる。データを直接利用すればそんな心配はなくなる。

実際、手書きと転記をしないようにしてみると、作業時間は圧倒的に少なくなりました。(時間が余ってしまい、それはそれで困ったことになったけど・・・。)

それから20年。若くて優秀なY君がExcelで作ったと思しき印刷物を見てデータ入力している。聞けば、印刷物は営業部からのもので、それを経理の集計表に入力しているのだとか。ほぼ同じ内容なら、データのまま使えば入力の手間はいらないんじゃないかなぁ、とばぁばは思う。

実はY君もわかってると思います。ただそうするように言われてるからやらざるを得ないし、効率を上げたところで”人員削減”の圧力が強くなるだけでしょう。

(ばぁばのいた部署は事務効率が上がったとみるや人員は5人から2人に削減されてしまいました。理由は別のところにもあったと思いますが。)

”人手不足”はこうした事情が生み出している部分もありそうです。効率を上げれば解消されることもあるはず・・・。そして今、コロナ禍の影響で仕事の仕方を見直す中で、効率化へのヒントもたくさん出てきました。

製造業や建設業だって産業用ロボットや自走式重機の導入など人手不足の解消策はあります。労働効率が上がれば、利益も出るでしょう。まわりまわって日本が誇る産業技術のさらなる進歩にもつながると思います。

ロボット産業とかIОTとかってベンチャーが活躍しそうな分野だし、導入にはコンサルも必要だし、これから伸びそうな分野に新しい雇用が生まれたら、Y君のような人がやらなくてもいい作業に時間を費やすことはなくなると思います。

ばぁばの『たられば』は大企業ではとっくに終わってる話でしょ?だけど全体的にみると”構造改革”は進まず、新しい産業が伸びていく余地がないように見える。ものごとには旬があるから、ぐずぐずしているうちにまた、おいしいところをみーんな海外に持っていかれちゃいそうで心配だー!

 

 

 

 

コロナ禍とインターネット

ばぁばが生まれてから30代まで日本は高度経済成長やらバブルやらで今では考えられないくらい活気がありました。一時は世界一の経済大国だったんだよ。

それが今は『失われた30年』だって・・・・。

30年前に何が起こったかというとやっぱりコンピューターとインターネットの普及でしょう。さらにWindowsの登場で世界はがらりと変わった気がします。

でも、ほかの先進国と比べると日本は後れを取ってしまった。ネットの環境整備はなかなか進まず、WindowsはもとよりGoogleAmazonもよその国の話。技術大国だったのにiPhoneだって作られなかった・・・。なんで?って本当に思ってしまう。

バブルの時代、あり余っていたお金は土地投機に多くが注ぎ込まれていました。土地を最大限活用したところで採算などとれないんだから”転売”で儲けるしかないんだけど、限界があるでしょ?・・・で、破綻しました。

あの時のお金を新しい産業の創生に使っていたらどうだったのかな?と考えることがあります。日本人の稲作や土地への執着が影響したのか、若い人に決定権がないからなのか、Visionとか未来とか抽象的なものに価値を置かないからなのか、とにかくすっからかんになって30年。お金がないからやらなくちゃならなかったことが後回しになっていたんだなって、コロナ禍で露呈してしまった感があります。

テレワークもWebでの授業も診察も、慌てて導入しようとして大わらわでした。それでも現状の問題点がわかって一気に環境整備が進めば、量子通信のように実は日本が最先端を行ってるものにももっと光が当たって新しい産業が生まれるかも知れません。

がんばれ日本!

 

”人手不足”に思うこと(その1)

コロナ禍の影響で今はなりを潜めていますが、日本はこの先大変な人手不足にみまわれるとか・・・。

外国人労働者の受け入れとか女性や高齢者も働きやすい環境づくりをするとか国を挙げて取り組んでいました。

でも、女性や高齢者の問題って本来は人手不足があろうがなかろうが実施しなくちゃいけなかったことだと思う。それから、外国人労働者の話はなんとなく『正規男性労働者の減少した分、女性や日本人の非正規労働者の賃金を上げても大丈夫でしょ?その代わり発展途上国から安い労働力を供給しますから。』って言われているような気がして”ぞわぞわ”するんだ。

外国人労働者だって日本に住んで家庭を持ち、日本国籍を取ればみんな同じ国民です。決して”第二国民”なんかじゃない。”外国人労働者=安い労働力”を無意識にイメージしているとしたら将来に禍根を残すことになるでしょう。

『それでも安い労働力なしではやっていけない・・・。』女性で高齢者で中小零細企業の従業員だったばぁばにはそんな切実な思いが骨身に染み付いてしまって、結局、国のありがたい施策も”絵空事”と半ばあきらめてるとこがある。

そうなんだ。問題は人手不足じゃなくて人手がかかりすぎること。利益を生めない非効率さとか付加価値の低さとか、別のところにあるんじゃない?

コロナ対策で今までなかった働き方をしてみてどうでした?ちょっと行動パターンを変えてみるといろいろ”目から鱗”なことが多かったんじゃないでしょうか。

”人手不足”の問題も今ならちょっと違った見方ができそうな気がしています。

 

 

Web利用で変わる?

Webで採用面接を受けた学生さんが「熱が伝わらないような気がする。」と話していました。

なるほど、ネットではどうしても伝わらないものがある。熱、におい、ボディランゲージ、etc.・・・まだ知られてない何かだってあるのかも知れません。その人が持っている雰囲気とか感情の動きとか、”生き物”の部分は伝わりにくいように思います。

で、伝わるものは何かといえば、”論理”かなぁ。

『言い方が悪い。』っていう言葉があるけど、これは内容を吟味する前に情緒的な判断で相手を排除してしまうことを指していると思う。会議などで人がたくさん集まって長時間話していても後で考えてみると何も決まってない、進展していないってこと、結構あるし、結局話の内容なんてあんまり重要でなかったんだろうね。

時間を共有して一体感を持つこと、”言い方”から共感できる人を特定し、連携をとることなどなどが本当の目的なんだと思います。

いちいち面倒な理屈を持ち出されるより、阿吽の呼吸で物事を進められる方がいい。”論理”と言ったって背後に”反感”とか”マウンティング欲求”が透けて見える不毛なものもあるしね。だから人が集まって話し合うことはそれなりに有意義でした。(ちょっと効率的じゃなかったかもしれないけど・・・。)

でも、これからの世界は”論理”というか、”言う事”のウェートが大きくなってくる気がします。

ついつい相手の顔色を見てしまったり、頼まれてもいないのに忖度してしまったり、結論をぼかしてしまったり、処世術にばかり長けてしまったばぁばたちの世代はそういう訓練を受けていません。ネット社会を忌避して世界に後れを取ってしまった原因は案外そういうところにあったんじゃないの?って思っています。

あ~ちゃんたちはAIと付き合っていく世代。小学校でプログラミング”言語”を勉強するんだって!?『そのうち人の感情も分析、数値化されて”論理”に組み込まれる日がくるのかな?」とちょっと怖いような気もしつつ、今より少しでもいい世の中になればいいなと願ってます。