MU_Ba-ba’s diary

あ~ちゃんへ

経済大国ニッポン???

アメリカを筆頭に世界では貧富の格差が拡大の一途をたどっているそうです。

主要先進国の現状は、投下資本から得られる利益の方が賃金の増加よりかなり大きいため経済的な階層は固定化され格差は拡大する一方だとか。

少し前に義務教育を受けている子どもの6人に1人は相対的貧困層だと聞きました。飢餓状態とまではいかないけれどその日暮らしていくのに精一杯で、例えば学習に必要なPCなどにまとまったお金を支出する余裕がない状態なのだそうです。

『これが経済大国ニッポンの子どもの姿か・・・?』と絶句するほどボロボロの服を着て登校してくる児童も珍しくない現実を『自己責任』の一言で片づけて、放置、助長してしまったのはいつからだろう・・・?

学習塾や習い事はおろか必須科目の部活だって道具や遠征費を考えたら思うようにはできないでしょう。貧困は子どもの進学や就職に影響し、連鎖します。

とはいえ、ばぁばは実は”人は生まれながらにして平等”ということには納得していない。教育が人に与える影響についてもちょっと懐疑的なんだ。同じ家庭に育った兄弟でさえ全く違ってたりするじゃない?

人それぞれの興味関心がいろいろな物事へのアクセスを制御した結果が一人一人違った能力や個性になっている気がする。知能は遺伝するとも思ってる。だから『東大生の親は高所得者』というのも教育への投資額が多いからというよりは”高所得者になれる”ほど優秀な親の子どもだからという部分が大きいと思う。

問題は機会均等が保証されていないことでしょう。お金がなくても大学に行ける世の中になってないことがね。

優秀な親から生まれた子どもは自力で財を成すことができるでしょう。学習や就職の機会均等が保証されているなら、個人がその才覚と努力でどれだけ収入を得ようとも社会全体にもたらされる利益を考えれば称賛をもって受け入れられるべきものだと思う。

遺伝的な格差については如何ともしがたいし、だから”不公平だ”なんて話は出てこなかったわけだ。

でも、生まれながらの経済的格差はなんとかなるものでしょう?

資本利益率の話に戻ると、経済的余裕のない家庭では投下資本から得られる利益の方が大きいとわかっていても、近い将来使い道が決まっているお金を投資することはできません。一時的に暴落している場合でも必要なら現金化しなければならないし、増してや失ってしまうリスクを考えたら恐ろしくてとても踏み出す勇気はありません。

一方、富裕層の場合は余剰のお金だから、値上がりするまで放置してもいいし、万一損失が出ても生活に困ることもないでしょう。

この差が経済的格差をどんどん広げているんだと思います。だとしたら、問題解決への道はいろいろ浮かんできます。あとは人の総意がどこにあるかによるのでしょう。自分の群れのことしか考えられないサルの本能に打ち勝てるかどうか、ある意味、”進化”のスパンになるのでしょうか・・・?