MU_Ba-ba’s diary

あ~ちゃんへ

コロナシンドロームに思う

 ここ数か月、感染対策と経済活動維持の間で結論が出せず、堂々巡りをしている報道が連日垂れ流されている。無傷で済む結論などないのだ。何かをあきらめなければ何もできはしないのだろう。大上段に「私こそが正義だ」と言わんがごとくのコメントはもううんざりだ。”人命”という言葉を出されたら誰も反論はできない。医学系のお偉いさんは病気さえしなければ人は生きていけると思っているのだろうか・・・?

 出口の見えない現状にイラついて、コロナウィルス感染症とはいったい”何者”なのかSFチックにへそ曲がりなをことを言いたくなった。

 コロナウェルスに感染しても大多数の人は自然治癒する。重篤になったり最悪死亡してしまうリスクが高いのは、老人、持病など健康上の問題を抱えている人だ。つまりこのウィルスは、若く、健康な個体を選別して残す。

 また、人口密度が低ければ急速に蔓延する危険は少ない。

 ということは、今70億人にまで膨れ上がってしまった人口を活力ある良好なバランスを保って減少させるには非常に好都合なのだ。

 産業革命前の世界人口は約7億人だったとか。それから200年で21億人まで増加し、更に100年たった現在は70億人。いったい地球はどれほどの人口を養えるキャパシティーを持っているんだろうか。

 一方で異常気象による災害や地殻変動の活発化による地震等も多発している。ほとんどの国で土地は『財産』であり『所有』されているものなので、もはや人間の住む環境といえない土地であっても人々はそこから離れることはない。幾度となく災害に見舞われてもそのたびに復旧し、異常な暑さや寒さにも莫大なエネルギーを消費してどうにか生活している。動物だったら新天地を求めて大移動をしているかもしれない。

 もし人口が現在の10分の1だったらどうだろう。『財産』としての魅力が下がっても人はリスクの高い土地に固執し、住み続けるだろうか?

 2020年現在、日本の二人以上世帯に占める60歳以上の割合は、人口が約50%で世帯主の貯蓄総額は約70%だそうだ。住宅ローンなどの負債を差し引いたら差はさらに広がる。もちろん60歳以上の世代内格差も大きいから、莫大な金融資産が一部の高齢者の元で眠っていることになる。もとい、貯蓄も運用されるので眠っているのは数字にも出てこないタンス貯金だけか。

 一部の高齢者が日本の富の大部分を握っていることの弊害は新しい産業への投資が行われにくいところにあると思う。政治にしろ経済にしろ高齢者に決定権が偏向している。中小企業のオーナーの多くを占める高齢者はバブル時代の成功体験に未だ捉われていたり、ネット社会や働き方改革などへの適応ができなかったり、時代感覚のずれている面が多々ある。そのため、現場との折衝がうまく行かず、問題が先送りになってしまうことも多い。さらに、高齢になると認知欲求が満たされない場面が増えてくるので、意固地になったり、地位や財産に固執するようになりがちで、次世代への事業承継もなかなかスムーズには行かないように見える。

 もし、人の寿命が60歳になったら、莫大な資金が若い世代に回る。国家予算や若い世代の社会保険料で賄われている医療費や年金給付資金も激減する。時代の動きに敏感な世代に意思決定権が移譲されることにより、未来志向の新規事業への投資も盛んになるだろう。

 コロナウィルスは自然の”意志”だろうか。というよりはそもそも『自然』とは弱い個体を淘汰する”圧力”を持つものだ。私たちは”不自然”を当たり前の世界として生きてきた。私も62歳の高齢者。With CORONA の世界では淘汰される者という”自然”を受け入れようと思っている。

 

 

 

 

"女性が活躍する社会"に耐えられる?

かれこれ20年ぐらい前、ばぁばより3歳ほど年上の先輩からこんな話を聞きました。

『中学校の同級生が小さな歯科医院の受付にいてすごく驚いた。』

その方は中学校でトップの成績だったそうです。さぞ活躍してることだろうと思っていたのに、身近なところでパートとして働いていたので驚いたとのこと。

こう書いて『同級生』は女性だと思ったでしょう。その通りです。

その女性の話はよく分かりませんが、日本では現在でも女性が仕事で活躍できる環境は整っていません。相変わらず”職場の花”的な仕事や”サポート”業務が多いように思います。将来AIが導入されて業務の効率化が進めば真っ先に削減される仕事でしょう。

『女性や高齢者の安い労働力が日本経済の刷新を遅らせている。』というコメントを聞いたことがありますが、すでに時代遅れの業種が生き残ってしまっている弊害だけでなく、有能な女性が生み出したであろう”経済的利益の遺失”もあるように思います。

同一労働同一賃金』を本気で実施すればかなりの中小零細企業は廃業を余儀なくされるかもしれません。でも、新たな業種がは活性化する余地が生まれます。そもそも中小零細企業では後継者不在が問題になっている現状を考えると、今がチャンスなのでしょう。

また、性別、年齢、国籍などに関わらず『同一労働同一賃金』にするということは”成果主義の超競争社会”を目指すということです。『生産効率が悪い』といわれる企業の在り方に変革が訪れると同時に『経済格差=能力差』といったが見方が顕在化することにもなるでしょう。

さて、長い歴史の中で社会的に優位な立場にあった男性が、この状況に耐えられるでしょうか?

とはいえ、今の日本に感じるやりきれない閉塞感をどうにかするには、”古い体質”からの脱却は必至だと思います。ただ、どういう影響が出てくるか、それに対してどう対処するか、”経済”といった軸だけでなくメンタルとか、さらに言えば『人間の本質』についても考察して、”文化”レベルで対処する必要があるように感じています。(例えば、親権は絶対か、子育ては”家庭の問題”か、といったようなことなどです。)

 

 

 

”個性”について思う

あ~ちゃんはばぁばの初孫だから今時の赤ちゃんとしては発達が早いのか遅いのかよくわからないけど、まだ2歳にならないあ~ちゃんがもう話せて歌えて踊れて、へちまにじょうろで水をやるのが自分の役割だと知ってて、スマホの幼児向け動画を自分で選んで見てて・・・てなことが普通というのにびっくり仰天してる。

生まれたとき、頭が大きくて産婦人科のお医者さんを悩ませたあ~ちゃんは1歳9ヵ月の今もやっぱり頭が大きくて3.5頭身ぐらい。立ってるとき、姿勢を保つのにふにゃふにゃ全身でバランスをとってる。ちょっと押されたら倒れてしまいそうで心もとない感じだ。

1年早く生まれた姪の子Iちゃんは同じぐらいのころ、とんでもなく動きが機敏で力強かった。手足も長いし『体幹がしかりしてる』って言葉が自然に浮かんでくるような子だった。

Iちゃんとあ~ちゃんの違いはどう考えても生まれながらの素質の違いによるものじゃないかとばぁばは思う。

実はばぁばも小さいころ、どこか弱々しい感じの子だったんだ。

痩せっぽちで体力がなくて家の中で一人遊びばかりしていた。みかねた(ばぁばの)母さんに『外で遊んでおいで!』と追い立てられてしぶしぶ近所の子どもたちに合流するも、30分もしないうちに疲れてはてて帰ってしまった。

後で分かったことだけど、当時ばぁばは知能指数がかなり高かったらしい。(小学校2年生のとき母さんは担任の先生から『知能指数が”異常”に高いので、子どもだから分かるはずがないと思わないように。勉強は後回しでいいから子ども同士できるだけ外で遊ばせるようにしてください。』と言われたんだとか。今はその片鱗もないけどね・・・トホホ。)

子どもが摂取できる1日のエネルギーには限度がある。人の一生で最も成長率の大きい幼児期に例えば筋力だったり脳神経だったり、一部の機能が爆発的に成長すると他に回る分のエネルギーが不足するんじゃないか?てなことをばぁばは考えてしまう。

さらに言えば、生まれながらの素質による指向性の違いは初めはほんの少しの違いでも、無意識の選択により特定の経験が積み重なれば、当然、成長とともに強化され大きな相違になってくると思う。

さて、ここで質問。『幼児期の指向性は矯正した方がいいの?』

個性は教育によらない部分が大きいし、”体質”に近いところから始まってるとしたら、”(一律)平等”な教育は弊害が大きいって気がするんだ。不得意なものを無理強いされて自己受容できない人になってしまっては大変だ。

誤解のないようにいえば『教育は個性を磨き、輝かせるためにある』と思ってる。幅広い知識と経験の補完という役割もあるかな。

ただ、今のところ学校教育は知識量と処理能力の強化に大半の時間が費やされていて、つまり将来の良質な労働力生産が主目的なんだろうな、と思えてならない。

でも・・・とばぁばは思う。『世界は多種多様な人がいろいろな役割を果たすことで成り立ってるんじゃないの?』と。

だとすれば、得意分野を伸ばしてもらった方が社会全体のレベルが上がるんじゃないの?・・・ひとつひとつ色の違う画素が適所にたくさん集まって”画面”ができるようなイメージかなぁ。

とはいえ、人はどうしてもマウンティングがしたい生き物だから、デジタル画面のようにいかない。単一の指標で優劣を競いたくてしょうがないんだろうね。現在の”いい職業”について他の人より上にいたいって願望には抗えない。(共産主義社会がうまく機能しなかったのはそのためだと思う。)

コロナ禍の経験から、ベーシック・インカムについて考えたけど、『得意分野』を伸ばした仕事で食べていける世界だったら教育の目的も変わるのかな、と思えてきた。

あ~ちゃんの生きていく次の100年はどんな世界なのかわからない。ただ、幸せに暮らす人が増えてることを祈る!

 

 

 

経済大国ニッポン???

アメリカを筆頭に世界では貧富の格差が拡大の一途をたどっているそうです。

主要先進国の現状は、投下資本から得られる利益の方が賃金の増加よりかなり大きいため経済的な階層は固定化され格差は拡大する一方だとか。

少し前に義務教育を受けている子どもの6人に1人は相対的貧困層だと聞きました。飢餓状態とまではいかないけれどその日暮らしていくのに精一杯で、例えば学習に必要なPCなどにまとまったお金を支出する余裕がない状態なのだそうです。

『これが経済大国ニッポンの子どもの姿か・・・?』と絶句するほどボロボロの服を着て登校してくる児童も珍しくない現実を『自己責任』の一言で片づけて、放置、助長してしまったのはいつからだろう・・・?

学習塾や習い事はおろか必須科目の部活だって道具や遠征費を考えたら思うようにはできないでしょう。貧困は子どもの進学や就職に影響し、連鎖します。

とはいえ、ばぁばは実は”人は生まれながらにして平等”ということには納得していない。教育が人に与える影響についてもちょっと懐疑的なんだ。同じ家庭に育った兄弟でさえ全く違ってたりするじゃない?

人それぞれの興味関心がいろいろな物事へのアクセスを制御した結果が一人一人違った能力や個性になっている気がする。知能は遺伝するとも思ってる。だから『東大生の親は高所得者』というのも教育への投資額が多いからというよりは”高所得者になれる”ほど優秀な親の子どもだからという部分が大きいと思う。

問題は機会均等が保証されていないことでしょう。お金がなくても大学に行ける世の中になってないことがね。

優秀な親から生まれた子どもは自力で財を成すことができるでしょう。学習や就職の機会均等が保証されているなら、個人がその才覚と努力でどれだけ収入を得ようとも社会全体にもたらされる利益を考えれば称賛をもって受け入れられるべきものだと思う。

遺伝的な格差については如何ともしがたいし、だから”不公平だ”なんて話は出てこなかったわけだ。

でも、生まれながらの経済的格差はなんとかなるものでしょう?

資本利益率の話に戻ると、経済的余裕のない家庭では投下資本から得られる利益の方が大きいとわかっていても、近い将来使い道が決まっているお金を投資することはできません。一時的に暴落している場合でも必要なら現金化しなければならないし、増してや失ってしまうリスクを考えたら恐ろしくてとても踏み出す勇気はありません。

一方、富裕層の場合は余剰のお金だから、値上がりするまで放置してもいいし、万一損失が出ても生活に困ることもないでしょう。

この差が経済的格差をどんどん広げているんだと思います。だとしたら、問題解決への道はいろいろ浮かんできます。あとは人の総意がどこにあるかによるのでしょう。自分の群れのことしか考えられないサルの本能に打ち勝てるかどうか、ある意味、”進化”のスパンになるのでしょうか・・・?

 

10万円給付に思う・・・AIとベーシック・インカム

我が家に定額給付金が振り込まれました。

定額給付金はコロナ禍で明日の食事もままならない人に1日でも早くお金を届けようということで”一律10万円”と決まりました。

ばぁばはそれを聞いたとき”ベーシック・インカム”の話を思い出した。

海外では実施してみた国もあるそうで、結果は様々だったようです。労働から解放された時間を自己啓発や家族や友達との交流など、有意義に使ったという話もある一方、勤労意欲がなくなったという話もあります。

ところで『ベーシック・インカム』は『AIが発達して人の仕事を奪う』という話や貧富の差が拡大している話とセットで出てきたように思ってるけど、もしばぁばの勘違いだったらごめんなさい。

AIと言ったって恐怖心を覚えるほど身近なものではないし、今はまだ”人手不足”をAIやロボットで代替しようという発想も雲の上の話で、みんな額に汗して働いてるよね。少なくともコロナ禍の前までは・・・。

さて、ここでポスト・コロナ世界を想像してみた。

そもそも『労働』はどうしても必要なものだろうか?十分な生産高が維持されてみんなの文化的な生活を賄えるなら、AIやロボットにお任せしてもいいんじゃないの?

ばぁば的には人は”労働””よりも”遊び”の方が性に合ってる生き物だと思ってる。つまり『好奇心』と『探求心』をフル活動して『達成感を味わう』ことが面白くてたまらないわけで、”仕事”はそれを提供してくれるものに過ぎないのかも、と思うことすらある。(だから単純作業は人気がない。)

話はそれるけど、繰り返し作業の最たるものは『家事』じゃないかと思う。女性の社会進出を男性が阻んできた裏には、”楽しい遊び場”を女性に開放して家事の応分負担をするなどもってのほか、という心理が潜んでたんじゃないの?・・・なんてね。

労働意欲はなくなっても『遊び心』はなくならないでしょう。ベーシック・インカムが導入されらた、ともすれば経済的な観点から冷遇されていそうな物理学や生物学などの基礎研究にも人材が集まるかもしれません。

ただ、”人から認められたい””高い地位に上りたい”という、人の”本能”にどう向き合っていけばいいのか、ばぁばにはわかりません。資本主義にしても社会主義にしても理論はそれなりに正しくても、結局運用するのが”人”だからうまくいかないんじゃないかと思うことしきり・・・。

コロナ禍を通じてみんなが幸せに日々を豊かに暮らせなければ、経済なんてあっという間に悪化すると”切実”に理解できました。貧富の差がどんどん広がっている世界ですが、みんなの消費が落ち込めばいずれは富裕層にも影響が及ぶでしょう。経済が落ち込めば治安の悪化や社会不安につながり、予想もしなかった事態を引き起こす可能性だってあると思います。

その前に知恵を絞って考えよう!

 

 

 

自粛生活・・・”目から鱗”いっぱいあり

テレビ番組ではリモートでの出演が当たり前になっています。

ある出演者が『以前は年間数百(千?)時間出張に費やしていた。あれは何だったのか?』という趣旨の話をされていました。

基本的には出張の移動時間は労働ではないので賃金を支払わなくてもいいことになっています。通勤時間も同様です。

でも、仕事のために長時間拘束されているわけで、ちょっと割り切れない・・・。

ある調査ではネットや電話での商談でも直接会っての商談でも成約率に有意差はないという結果が出たそうです。要は提示している”商品”次第ということでしょう。

昔のようにゴルフや飲食の接待で売り込める時代ではなくなっているのに、”伝統的”な手法は疑念を持たれることなく維持されていました。

それが今揺らいでいるのだと思います。

多すぎる会議とか、出張とか、企業の”伝統”が実は単なる”習慣”だったことがはっきりして、『”目から鱗”のことってほかにもあるんじゃないの?』とみんなが考え始めたことが見て取れます。

都市部への人口集中と地方の過疎化にしても、『直接会って話し合う』ことが重要だったがゆえに起きているのではと思います。働く場所がないから生まれた町を離れざるを得ない人は多いでしょう。でも、リモートで働けるなら何も土地価格の高い都市部に社屋を置く必要はないわけです。クラウドの環境なら激甚災害時にも会社のデータは保持できるし、仕事場が分散しているとすべての機能が停止することも避けられるかもしれません。

あれれ、リモートだと”空気を読む”こともできないし、記録としてバッチリ残すこともできるわけで、論理優先でサクサク仕事が進むとしたら、行政や立法の世界でこそ有意義じゃないかとばぁばは思っちゃった。

各省庁も東京から地方に移転したって問題ないし、国会もネットでいいじゃないの。文書はメールで十分だしね。ド素人だからいい加減なこと言えるってのはわかってるけど、東京に全部が集まっちゃってることからくるメリットとデメリットを天秤にかけたらとっちが重いのかなぁ?

とにかく、『昨日までの世界がすべてではない。』という事実に気づいた今、積年の難問にも解決への道が見えてくるかもしれないと思っています。

 

 

アベノマスク来たー!

少し前にようやくアベノアスクが来ました。

でもねぇ、もう薬局でもスーパーでもいっぱい売ってるんですよ。50枚入り2千円ぐらいかな?

マスクが本当になかった頃、みんな、ハンカチやらキッチンペーパーやらいろいろなものを使ってあの手この手でマスクを調達してました。増産が本格的に始まり流通するまでの間、しのぐ方法は別にあったと思います。一部の買い占めや転売の規制を早くすればよかったんじゃないかとか・・・。

結局あまりありがたみがなかったばかりか、中学校でアベノマスクを着用しない生徒にペナルティを課すような内容の文書が配布されたり、取扱業者選定に疑念があったり、不良品チェックに新たに8億円も予算がかかったり・・・と、新たな問題も出てきました。

なんだかなぁ、もう少し上手なお金の使い方ってなかったのかなぁ、と本当に思う。マスクは手段であって目的ではないのに、そればかりが話題になってて、マスクを買うために行列になってる、なんておかしな現象まで起きてた。ばぁばは『猫じゃらしに夢中になる猫か!』と思ってしまう。

猫は猫じゃらしを動かしてる人の方ではなく目先の動きに気を取られてるんだよね。(犬はそうじゃないらしい。)幼児のサッカーやバスケの試合と同じだなぁ。目先のボールにわーっと引き寄せられちゃってるでしょ?

目的は何かがはっきりしていれば、みんな知恵を絞って乗り切ろうと頑張ります。”マスクが必要”ではなく”感染しない対策が必要”なわけで、そのためには外出自粛も手洗い、消毒もやります。マスクぐらい無くても工夫と我慢でなんとかできたと思います。

アベノマスクの予算をほかに使ってもらいたかったなぁ・・・。

ところで給付金もすっごい遅れてるようですが、住基ネットマイナンバーの導入には莫大なお金を注ぎ込んだはずです。それでこの有様ですか?民間の会社だったら損害賠償物でしょうね、

金銭感覚は人それぞれだとは思うけど、われら庶民は少ない家計をやり繰りする中で『今日は野菜が高かった。』とか『あっちの店の方が日用品は安かった。』とか日々の買い物に一喜一憂しているわけだ。

まして税金は人様のお金じゃないですか。今時ちょっとググれば何にどのぐらいの値段がついてるかは簡単にわかる。”仲良しの相手に還流前提で『寄付』に近い法外な代金を支払う”・・・てな阿漕なものでないならば、もっと”値ごろ感”を身に付けてほしいと思います。